ネットで「私は貝になりたい」を観ました。
・父の死 私の父は九十四歳四ヶ月で死んだ。 死ぬ前日に床屋へ行った。 その夜半寝床で腹の中のものをすっかり出した。 明け方付添いの人に呼ばれて行ってみると、入歯をはずした口を開け能面の翁そっくりの顔になってもう死んでいた。顔は冷たかったが手足はまだ暖かかった。 鼻からも口からも尻の穴からも何も出ず、拭く必要のないくらいきれいな体だった。 自宅で死ぬのは変死扱いになるというので救急車を呼んだ。運ぶ途中も病院に着いてからも酸素吸入と心臓マッサージをやっていた。馬鹿々々しくなってこちらからそう言ってやめて貰った。 遺体を病院から家へ連れ帰った。 私の息子と私の同棲している女の息子がいっしょに部屋を片付けてくれていた。 監察病院から三人来た。死体検案書の死亡時刻は実際より数時間後の時刻になった。 人が集まってきた。 次々に弔電が来た。 続々花篭が来た。 別居している私の妻が来た。私は二階で女と喧嘩した。 だんだん忙しくなって何がなんだか分からなくなってきた。 夜になって子どもみたいにおうおう泣きながら男が玄関から飛びこんで来た。 「先生死んじゃったァ、先生死んじゃったよォ」と男は叫んだ。 諏訪から来たその男は「まだ電車あるかな、もうないかな、ぼくもう帰る」と泣きながら帰っていった。 天皇皇后から祭粢料というのが来た。袋に金参万円というゴム印が押してあった。 天皇からは勲一等瑞宝章とうものが来た。勲章が三個入っていて略称は小さな干からびたレモンの輪切りみたいだった。父はよくレモンの輪切りでかさかさになった脚をこすっていた。 総理大臣からは従三位というのが来た。これには何もついてなかったが、勲章と勲記位記を飾る額縁を売るダイレクトメールがたくさん来た。 父は美男子だったから勲章がよく似合っただろうと思った。 葬儀屋さんがあらゆる葬式のうちで最高なのは食葬ですと言った。 父はやせていたからスープにするしかないと思った。 * 眠りのうちに死は その静かなすばやい手で 生のあらゆる細部を払いのけたが 祭壇に供えられた花々が萎れるまでの わずかな時を語り明かす私たちに 馬鹿話の種はつきない 死は未知のもので 未知のものには細部がない というところが詩に似ている 死も詩も生を要約しがちだが 生き残った者どもは要約よりも ますます謎めく細部を喜ぶ * 喪主挨拶 一九八九年十月十六日北鎌倉東慶寺 祭壇に飾ってあります父・徹三と母・多喜子の写真は、五年前母が亡くなって以来ずっと父が身近においていたものです。写真だけでなくお骨も父は手元から離しませんでした。それが父の母への愛情のなせる業だったのか、それとも単に不精だったにすぎないのか、息子である私にもはっきりしませんけれども、本日は異例ではありますが、和尚さんのお許しをえて、父母ふたりのお骨をおかせていただきました。母の葬式は父の考えで、ごく内々にすませましたので、生前の母をご存知だった方々には、本日父とともに母ともお別れをしていただけたと思っております。 息子の目から見ると、父は一生自分本位を貫いた人間で、それ故の孤独もあったかもしれませんが、幸運にかつ幸福に天寿を全うしたと言っていいかと存じます。本日はお忙しい中、父をお見送り下さいまして、ありがとうございました。 * 杉並の立て直す前の昔の家の風呂場で金属の錆びた灰皿を洗っていると、黒い着物に羽織を着た六十代ころの父が入ってきて、洗濯篭を煉瓦で作った、前と同じ形で大変具合がいいと言った。手を洗って風呂場のずうっと向こうの隅の手ぬぐいかけにかかっている手ぬぐいで手を拭いているので、あの手ぬぐいかけはもっと洗面台の近くに移さねばと思う。父に何か異常はないかときくと大丈夫だと言う。そのときの気持はついヒト月前の父への気持と同じだった。場面が急にロングになって元の伯母の家を庭から見たところになった瞬間、父はもう死んでいるのだと気づいて夢の中で胸がいっぱいになって泣いた。目がさめてもほんとうに泣いたのかどうかは分からなかった。 ・世間知ラズ 自分のつまさきがいやに遠くに見える 五本の指が五人の見ず知らずの他人のように よそよそしく寄り添っている ベッドの横には電話があってそれは世間とつながっているが 話したい相手はいない 我が人生は物心ついてからなんだかいつも用事ばかり 世間話のしかたを父親も母親も教えてくれなかった 行分けだけを頼りに書きつづけて四十年 おまえはいったい誰なんだと問われたら詩人と答えるのがいちばん安心 というのも妙なものだ 女を捨てたとき私は詩人だったのか 好きな焼き芋を食ってる私は詩人なのか 頭が薄くなった私も詩人だろうか そんな中年男は詩人でなくともゴマンといる 私はただかっこいい言葉の蝶々を追っかけただけの 世間知らずの子ども その三つ児の魂は 人を傷つけたことにも気づかぬほど無邪気なまま 百へとむかう 詩は 滑稽だ ・夜のラジオ 半田鏝を手にぼくは一九四九年製のフィルコのラジオをいじっている 真空管は暖まっているくせにそいつは頑固に黙りこくっているが ぼくはまだみずみずしいその体臭にうっとりする どうして耳は自分の能力以上に聞こうとするのだろう でも今は何もかも聞こえ過ぎるような気がするから ぼくには壊れたラジオの沈黙が懐かしい声のようだ ラジオをいじることと詩を書くことのどっちが大事なのか分からない まだ詩と縁のなかった少年のころに戻って もういちど埃っぽい砂利道を歩いてみたいと思うが ぼくは忘れている まるで時間などないかのように女も友だちも ただもっと何かを聞きたいもっと何かが聞こえるはずだと ぼくは息をつめ耳をすませてきただけだ 入道雲が湧き上がる夏ごとの空に 家族が集うしどけない居間のざわめきに 生きることを物語に要約してしまうことに逆らって ・トタン屋根に降る雨 子どもだった頃から同じ音だ 落葉松の枝に散らされた雨のしずくが 不規則に屋根を打つ音はむしろ乾いていて 音楽とは似ても似つかないのが快い 凍りついた霜のような模様のガラス窓と こてあとが残してある白い壁と ゆがんでたてつけの悪い扉がこの家の特徴だ 毎年夥しい虫が家の中で死んでいる もう子どもの泣き声や笑い声は聞こえない 人は年をとってだんだん静かになる 表面はどんなに賑やかでも 身近な死者が増えてきた 彼らにしてやれたことよりも してやれなかったことのほうがずっと多い ・倉渕への道 倉渕への道は曲がりくねっている